いっかいっか、やってみようか【菊地悠子】
アートと建築がひらく「内側の風景」
火曜日のヨル喫茶。プレ開催2回目。
この日のテーマは「地域」と「アート」と「建築」。
分野は違うけれど、どちらも共通していたのは、
“ことばにならない感覚”についての話でした。

一枚の絵から立ち上がる、それぞれの人生
はじまりは、高齢者施設でのアート鑑賞会の話から。
一枚のカラフルな抽象画を前にして、参加者からはこんな声があがります。
「楽しい感じ」
「戦争の焼け野原みたい」
「原子に見える」
「悲しいけど、明るくしている感じ」
ばらばらのようでいて、どこか奥のほうでつながっているような言葉たち。
あとから、その絵の背景が明かされます。
作家は、亡くなった元妻の肖像の上に、悲しみを抱えながら一晩で色を重ねたのだそうです。
参加者の言葉は、偶然とは思えないほど、その背景と重なっていました。
そこにあったのは「正解」ではなく、
それぞれの人生から生まれた“感じ方”。
アートは、記憶や経験をそっと引き出し、
普段は言葉にならないものを、かたちにしてくれる。
その場にいた人たちは、誰かの言葉を通して、
自分の内側にも触れていたように見えました。
発表者は、こう話していました。
「こういう体験を、子どもたちにも届けていきたい」
愛される建築は、長く残る
続いて登壇したのは、建築家としての菊地さん。
テーマは「愛着の湧く建築」。
建物が長く残るかどうかは、強さだけではなく、
「誰かに愛されるかどうか」で決まるのではないか、という話でした。
その考え方は、とても感覚的です。
触り心地
匂い
音
光
特に子どもたちは、空間を頭ではなく身体で受け取ります。

寝転んだり、触ったり、歩いたりしながら、
その場所をまるごと感じている。
だからこそ、素材の質感や温度は、
安心感や居心地に、そのままつながっていきます。
そして、いい空間は「何もしなくていい場所」だけではなく、
「やってみたい」と思ったときに動ける場所でもある。
そのために大切なのが、
“選べる居場所”をつくること。
ひとりでいられる場所
少人数で過ごす場所
みんなとつながる場所
そんなふうに、空間にグラデーションがあることで、
人は自分の状態に合わせて居場所を選べるようになります。
子どもたちが主役になる場所
紹介された保育園の事例も印象的でした。
山形・金山町のこども園では、地元の金山杉を使い、
子どもたちは裸足で木の床の上を過ごします。
少し高さのある場所は、いつの間にか遊び場になり、
身体を動かすきっかけにもなっているそうです。
岐阜の保育園では、建物の柱になる木を、
子どもたち自身が選びました。
まっすぐな木ではなく、曲がりや節のある木を選ぶことで、
その建物はぐっと“自分ごと”になります。
「200年生きた木なら、200年もたせたい」
そんな言葉から、建築は時間の中に置かれていきます。
田んぼのある園庭や、地域に開かれた足湯。
建築は、人と自然、地域をつなぐ存在にもなっていました。
没頭の先にある「やってみようか」
最後に、菊池さんがみなさんにこんな問いを投げかけました。
「“やってみようか”と思えるのは、どんなときでしょう?」
そのヒントとして出てきたのが、「没頭する時間」。
何かに夢中になったあとの、あの感覚。
やりきったあとに、身体に残る静かな納得。
その積み重ねが、次の一歩をつくっていく。
それは、アート鑑賞の体験とも、どこか重なっているように感じました。

沼津という「ちょうどよさ」
沼津での暮らしについても話が出ました。
海と山の距離感。
歩いて回れるサイズ感。
都市すぎず、田舎すぎない空気。
「ちょうどいい」
その言葉が、この場の雰囲気とも重なります。
無理がなく、足りなさもない。
だからこそ、人は自分の感覚に戻っていけるのかもしれません。

アートも、建築も、まちも。
どれも外側をつくるもののようでいて、
ほんとうは内側をひらくものなのかもしれません。
その入り口は、いつも静かに、ここにあります。
