干物を産業にしたパイオニア

“いろいろ失敗したからわかることがあるんです”

沼津で干物を本格的に産業として築き上げた羽野水産。
50年前は沼津産と謳っても全く売れなかったのが
「沼津といえば干物」と言われるようになった。
海の恵みを多くの方に提供したいという信念。
この想いの実践が干物の流通革命を生み出し沼津の干物をブランドにしたようだ。
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久保田社長が干物産業の歴史と今を語ってくれた。
鮮度が大切な干物。
かつては製造して次の日には売らなくてはならなかった。
そこで冷凍の技術を生み出したのが先代の社長。
そうすることによって日持ちが1日延びた。
(この当時、保冷車や売り先で冷凍庫がない)
1日だけだがこの1日が大きい。
鮮度を保った状態での輸送が可能になったのだ。干物の需要は一気に加速した。
トラック輸送が可能になり、当時競争相手が少なかった関西へ積極的に販売。
たちまち沼津の干物は売れるようになった。
鮮度を保つための挑戦、段ボール、保冷箱…
沼津スタイルの干物の流通を他県の業者も真似をするようになる。

沼津でも新規参入の干物屋が一気に増えた。
一時は300軒近くの干物屋があったが現在は食生活の変化や海外製品が増えたりと、需要が減り100軒まで減少。
このような状態の中でも常に時代の変化に合わせて色々な工夫をしてきた。

加工工場の中を見せてもらった。衛生管理のいきわったった作業場には魚臭さはなく、この日は鯵や金目鯛など種類、産地、大きさが違う10種類ほどの魚が加工されていた。材料の魚を解凍する機械や塩漬けをする機械など数種類の機械がある。
よりおいしい干物をたくさんの人に届けられるように機械もオリジナルで作り上げてきたものだ。
最初に電気で乾燥をさせる機械を作ったのも羽野水産だそうだ。

機械の奥では職人が、見事な手さばきで次々に魚をさばいていた。
一瞬で驚くほどきれいに取れる内臓、そして均等に開かれていく魚たち。1時間で一人約250枚。
熟練の技は最低でも半年はかかるそう。機械と手作業が相まって干物産業を支えている。

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羽野水産の工夫は機械設備だけではなかった。
その一つに「銘茶干し」がある。
品質にこだわり添加物を使わない。
銘茶干しは、味付け工程でカテキンの豊富に含まれた4種類の静岡県産緑茶の煎出液に溶け込むことで、酸化防止をはかり、同時に魚特有の臭さを抑え、冷めても身の柔らかい開きを実現。
また水も駿河湾深層水を100%使用し、魚本来の旨みを引き出すことに成功した。

魚によって塩の吸収される時間が違ったり、魚を洗う行程のある干物作りで緑茶が流れてしまわないような工夫など、何度も失敗を繰り返しながら技術を蓄積していった。

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また、食べ方の工夫もある。
干物をどうやってたべるか。焼くだけじゃないのか?と思いがちだが、沼津の学校給食では「干物の素揚げ」が出される。
羽野シーフーズではこの素揚げにぴったりな小ぶりの鯵の開きを販売している。

骨まで食べれるサイズの鯵に揃え、揚げたときに塩辛くならないよう通常の干物よりも塩に漬ける時間を短く、目玉は揚げると固くなるのでとっておくという徹底ぶり。

現在は、沼津港で食べられるカリアゲひものバーガーや、沼津カリアゲひもの研究会が色々な場所で干物の素揚げを販売している。
その一つとして沼津自慢フェスタ2013でもこのカリアゲ干物を食べることが出来る。
干物をもっと身近に感じてもらえるのではないだろうか。

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